photophoto

Profileプロフィール

略 歴

1968年2月26日
京都市左京区に生まれる
岐阜県三輪神社神主の祖父、京都大学工学部教授の家に長女として生まれ、その後山科区へ引っ越し
1980年3月
京都市立 山階小学校 卒業
1983年3月
私立 同志社女子中学校 卒業
1986年3月
私立 同志社女子高等学校 卒業
1990年3月
私立 同志社大学 法学部 法律学科 卒業
1990年4月
大阪ガス(株)入社
家庭用新築住宅向け営業、商品開発等を担当

略歴をもっと見る ▼

2000年4月
リキッドガス(株)(プロパンガスや液化ガス事業を行う会社)へ出向
この会社で初めて管理職(チーフ)となる
2004年8月
出産(2004年8月~2005年4月まで産休・育児休暇を取得)
2005年5月
リキッドガス(株)の元職場へ復帰
2005年10月
大阪ガス(株)へ帰社
家庭用新築住宅向け 営業企画を担当
2009年7月
家庭用新築住宅向け 大阪南部地区 営業マネジャーに就任
大阪ガス初の新築住宅向け営業マネジャーに就任
2012年4月
お客さま部 サービス企画チーム マネジャー
全社CS(お客さま満足度)推進、環境教育や防災教育を学校へ実施する活動、消費者団体様や障がい者団体様の対応を担当
2015年4月
広報部 コーポレートコミュニケーション推進チーム マネジャー
社内広報誌作成、Webサイト・SNS等を担当
2020年4月
企画部 ESG推進室 室長
ESG(環境・社会・ガバナンス)経営の推進を担当

略歴を閉じる ▲

photophoto
誕生日
1968年2月26日(現在満54歳)
血液型
B型
家族
夫、息子(17才)
好きな言葉
健康第一、千里の道も一歩から、日々是新也
趣味
旅行、観劇、週に1回のヨガ
photo

幼少期

1968年(昭和43年)京都市左京区にて、岐阜県三輪神社神主の祖父、京都大学工学部教授の父の家に長女として生まれる。
その後本人の記憶のない幼いうちに、山科区へ引っ越し。
幼稚園くらいまでは、おとなしくて泣き虫で、でも小さい頃の私は、なんといっても好奇心旺盛でした。
言葉通りに「なんで雨は降るの?」「なんでコップの周りには水滴がつくの?」
うるさいくらいに親に聞いて困らせていたようです。
親はそんな私に本を与え、「なんで」の回答を自分で探せるようにしてくれました。
小学校の夏休みには、田んぼで稲作をしているおじさんにインタビューしてみたり、スーパーで開催されていた「ファーブル昆虫記展」で質問コーナーの方を困らせたりもしたそうです。
今も、現物・現場が大好き。その原点は、この幼少期にあると言えます。
これからも現地へ赴き、皆様の声を聴き、共感してまいりたいと思っています。

photo

中学・高校時代

1980年4月同志社女子中学へ入学。
思春期時代を女子校で過ごし、校祖である新島襄が目指した、一人ひとりの人格を重んじ、型にはめずにのびのびと育てるという教育方針のおかげで、本当にのびのびと過ごしました。
中学時代・高校時代ともに生徒会活動に参加し、高校では生徒会長を務めました。
また、漫画とアニメが大好きで、この時期、自身でもSF小説を書いたりしていました。
今も大好きで、息子と一緒に漫画やアニメを楽しんでいます。漫画やアニメは日本の宝、だからこそ、これらのコンテンツ産業をグローバル産業としてしっかり成長させていきたいと思っています。

創設者新島襄の遺した漢詩「庭上一寒梅」という詩があります。
私はこの詩が大好きで、今も、ちょっとめげた時などに口ずさみます。
厳しい寒さ、風雪の中で、どの花たちよりも早く開花する梅。
困難な中でも、最初であることを恐れず、また誰かとの競争のためではなく、誰かに認められるためでもなく、自分の信念にもとづいて頑張る存在。
でもその存在があるから、色んな花たちが開花していく。
そんな寒梅に私はなりたいと思っています。

photo

大学時代

1986年4月同志社大学法学部法律学科へ進学。
法学部進学のきっかけは「12人の怒れる男」という映画でした。
アメリカの陪審員制度を描いたものですが、その映画に感動し法曹の道に進みたいと考えたからです。何が真実か、真実は本当に一つか、人の罪を人は裁けるのか。そんなことを考えさせられた映画でした。

大学では、4年間法学研究会に参加し、毎週土曜に無料法律を実施したり、夏休みには学校から飛び出て移動法律相談会を開催していました。
一時期は法曹の世界を真剣に目指していましたが、将来の進路を親に相談した時に民間企業への就職を勧められ、大阪ガスへ就職しました。

photo

社会人時代

1990年4月大阪ガス入社。
この時男女雇用均等法施行5年目の入社で、まだまだ女性総合職が少ない時代でした。
総合職でしたが、制服を着用し、女性の輪番制で回ってくるお茶出しの仕事もやりました。
その後、女性全員の制服やお茶くみ仕事は廃止されていきましたが、当時を改めて思い出すと、女性活躍推進も進んできたと言えます。

大阪ガスで忘れられない経験は、阪神淡路大震災です。
エネルギー会社として社会的責任の大きさを痛烈に感じた経験です。
日々当たり前のように使っているエネルギーが使えない。
災害だからと言って許されることではなく、今後、こうした事態を招かないようにしていかなければならない。大阪ガスの社員誰もが抱いた決意だったと思います。

安定供給ヘの使命感、これは皆様の生活を守ること。
だからこそ、エネルギー政策は、安定供給の持続性をしっかりと担保したものであるべきと考えています。

photo

出産、仕事と育児の両立

2004年8月、男児を出産。
人生において、出産というものほど、唐突にやってきて、生活を大きく変えてしまう出来事はありません。仕事と育児の両立は、本当に大変でした。
子供は本当に突然熱を出します。昨晩まで元気に寝付いたはずなのに、朝起きると発熱している。こんなことはよくありました。その度に、同僚の皆さんに仕事のカバーをお願いすることになり、恐縮するばかりでした。
子供が小さい時の営業企画のスタッフ時代は、仕事の優先順位を考えて、ただひたすら業務をこなしていました。組織の解決すべき課題に気づきつつ、時間的制約の中、積極的に解決の手が打てない自分に歯がゆさを感じて過ごしたのを思い出します。せめて、時間的制約を少しでもなくそうと考え、週に2回ベビーシッターさんをお願いしてやってきました。

現在の若い子育て層においては、私の時代以上に男性の理解も進み、父親のサポートも得られるようになってきたと感じています。
それでも夫婦2人だけで育児を頑張っている方々を支援する多様なサービスは、まだまだ育成し整備していかなければならない。できることなら、それが育児・介護ともにニーズを満たせるものであれば、なおよいでしょう。
自分自身の仕事と育児の両立経験、母親の介護の経験を活かして、子育てや介護を抱える全ての人が、自分らしく、何者にもしばられない人生を謳歌できるサポートをしていきたいと考えています。

Support応援する

SNSをチェックする

  • facebook
  • Instagram
  • Twitter

後援会に入会する